"蛍"のロケ地知覧で感じたこと
2001年10月23日

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 去る、10月6日〜8日、2泊3日の小旅行に行って来ました。平均年齢64歳の 男性4名、女性20名の団体旅行です。その少ない男性の一人として、旅の途中 ルンルン気分であったことは云うまでもありません。

 旅行のコースの一つに、鹿児島県にある知覧特攻平和会館が組み込まれていました。 中に入って見学しているうちにルンルン気分がだんだんと、深い闇に落ち込んで いく様な気分になってしまいました。

 最近"蛍"という映画で、知覧のことは大きな話題になったので、映画を通じて、 戦時中、日本陸軍が有能な若者たちを、今日のタリバンと同じ様に、お国のためという大儀で集団自殺にかりたてていったことを、ご存知の方も多いと思います。

 特攻平和会館の中に入って、1,650名に及ぶ写真と遺品、特に遺書を読んでゆく うちに、戦争という時代の状況がそうさしたという一言では片付けられない悲しさと 憤りを感じさせられました。18歳から25歳までの若者が、父・母・妹・ いとしい人への別れの言葉を遺書に残して死んでゆく姿を思う時、我が子とその姿が だぶり何とも言い知れない深い悲しみを覚えました。

 それから50年余り経って-------------
いま、日本の状態を思う時、彼等の死は一体何だったのか、彼等は、安らかに眠れて いるのだろうか。 そんな、センチメンタルな気分で、ハーレム状態の小旅行を 無事終え、我が家に辿りつきました。

   
  風の会  河本雪夫
 
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