見えないものを観るということ  
もどる
2001年9月04日
 

 日頃何げなく使っているが、一つの言葉が日常語になるためには、どれだけの 時間と人の間のコミュニケーションの役割を果たしてきたのだろうか。
  今は死語になりかけている私のすきな言葉の一つ、おかげさまという言葉をじっと 眺めていると風雪に耐え、よくぞこれまで残ってきたものだとつくづく思います。  
 語源的には、かげ=陰 に丁寧語のおをつけさらに尊敬を込めてさまをつけた言葉だと言われていますが、そんなことはさておいて、おかげさまにいろいろな思いを託した先人が言いたかったことを少し考えてみたいと思います。
かげの奥にあるものは、人の見えない世界、未知の世界です。人は五感によって感覚できるものが確かな世界だと思っていますが、よく考えるまでもなく、私達が見ている物は、我々を取り巻いているもののごく一部だということです。

 光も、見えている部分より紫外線、赤外線、遠赤外線など直接見えないけれど存在しているわけで、目に見えるものだけが、存在しているもののすべてではないことは自明です。
  氷山も、見えているものはごく一部で9/10は見えない部分だと言われています。
 先人も、自分たちをとりまいている世界が、見えないものによって支えられているというある種の畏敬、見えないけれども自分達を守ってくれているものがある、そう信じていたに違いないと思います。その気持ちの表現がおかげさまだったのではないかと思います。だから、人の見えないところに真心をつくすことが出来たし、人を信じることができたのだと思います。この見えないものを"ある"と認識する能力が心の中にあることを教えるのが教育であり、教育は当たり前のことを教えることだと教えてくれているのが、次の詩だと思いますので紹介します。

 

人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ
何でもみんなで分けあうこと
ずるをしないこと
人をぶたないこと 
使ったものはかならずもとのところに戻すこと
ちらかしたら自分で後片付けつること
人のものには手を出さないこと
誰かを傷つけたら「ごめんなさい」と言うこと
トイレに行ったらちゃんと水を流すこと
不思議だなぁという気持ちを大切にすること

心の時代の夜明けーーー衛藤信之

これは、般若心経の色即是空、空即是色 こだわりや、とらわれのない、"あるがまま"という仏の世界に通じる教えでもあると思います。

風の会代表 河本 雪夫

もどる