盆のシーズンになると、日頃あまり意識していない 鬼籍に入った人を思い、懐かしいひと時を過す。
これが一番普通の墓参りの姿だと思いますが、墓参りで供養をされる死者はどこにいるのでしょうか?
芥川賞受賞作品"中陰の花"(玄侑宗久著)の中に こんな会話があります。
妻 |
「なぁなぁ、人が死ななはったら、地獄行ったり極楽行ったりほんまにあるんやろうか?」 |
和尚 |
「知らん」 |
妻 |
「知らんて和尚さんやろ。どない云うてはんの、檀家さんに。」 |
和尚 |
「そりゃ相手次第や。極楽行こうと思って一生懸命生きてる人の邪魔はしないけど、
今の世の中地獄に行くぞと脅しても誰も聞いてくれないよ」 |
仏教では、四十九日経たなければ極楽浄土に落付かない。つまり死んで四十九日は中陰と言って、 落ち着き場所を探している事になっています。満中陰とは行くべき所に行きついたことをいいます。
人は死んだらどこに行くのか、死者の魂はあるのか、 行って帰って来た人が居ない限り永遠のテーマであります。 アメリカの著名な心理学者であるキュープラ・ロス博士は千人以上の臨死体験者にインタビューして身体から離脱した魂は
存在すると結論付けています。
先祖供養のためお墓参りをする大多数の人は身体離脱をした魂の存在を信じている人はそんなに多くはないと思います。
自分が実際に認識できないことは、信じたくない、むしろ否定したい気持ちになる様ですが、しかし他人が自分と同じものを 見たり感じたりすることは、ありえないことなので、他人の経験した不思議を説明出来ないというだけで、あっさり否定してしまうのは、
夢がない様な気がします。
日本の民話や昔話、北欧のケルト族の人達の妖精伝説(ハリーポッターもその一つ)の様に不思議なものをあると仮定して、 いろいろ考えたり話題にしたりすることで想像力を膨らます方が、生活に潤いがあるように思います。
中陰の花を読んで、人は死んだらどうなるか、という結論を急ぐより今生きている我々の納得が死者の落ち着く場所ではないか。 そんなことを暗示している様に思いました。
盆になると人は何故墓参りするのだろうという疑問に対する納得のヒントが得られたような気がします。
|