四国88か寺 自転車めぐり  
第三章 10/8-10/11


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2001年12月04日
--10月8日(月)晴後曇 6:00宿出発  17:20一の瀬旅館着 走行98KM 徒歩10K
 予報では午後より雨、降雨前に少しでも西へとの思いから5時起床、 雨支度を整えて出発した。出がけに同宿者からチャリ転倒して30針縫った体験を 話され改めて注意して走行しようと肝に銘じた。
 昨夜の湯で疲労は かなり快復していたが走り始めると手足の関節や尻がすぐ悲鳴をあげた。 無視して走り続けたが準備していた雨具の紐がギヤに絡まるトラブル。 モタモタしていたら通りかかりの歩き遍路さんが鋏を出してチョン、 どうもありがとう!合掌。
 強い風の中重くなったペダルを踏み続けて室戸岬へ辿り着いた。 波が高く豪快な眺めに脚を揉みながら暫しの休養。鋭気を養った後土佐路初の二十四番最御崎寺へと ハンドルを向けた。ここでも途中で輪子を休ませて坂を登った。下りでは両足の人差し指が突っ張りすぎ ズキズキと痛み出したので時々後ろ向きに歩いたりした。次の二十五番津照寺も高台にあり階段登りが 多かった。
 納経所でヒゲ面のオジサンから意外な話を耳にした。
曰く一番札所への批判である。 「88ケ所巡りで結願の際一番へお礼参りするように勧めており、 納経帖や掛け軸に89番目に一番札所が再度位置付けされている。これは間違いで88ケ所巡りを 開設したお大師様をボウドクするものだ。お礼参りは高野山だけでよい。」との言。
 一番札所で販売している各種の遍路グッズ類は他の87ケ所に分配されるのではと尋ねたら、 とんでもないと強い口調での返事。一番札所の逞しい商魂に遍路の将来を憂える気持ちにチョッピリ嫉妬も 含んでいるように感じられた。
 偶然かも知れないが二十七番神峰寺では遍路向け商魂に不快な気がした。 駐車場は有料で不法(無料)駐車には納経拒否の掲示があり、周りは旅館の大きな看板がズラリと並んでいた。 境内では値段書いた張り紙の下、名水入れの容器が積まれていた。汗かきながら急坂と長い階段を喘いで登ってきた 身には興ざめの出迎えである。ここでは名水をロハでたっぷりと飲み、持参のボトルに満タン詰めて失礼した。
 坂の途中待たせていた所に輪子が見当たらず「誘拐された!」と思い辺りを探し廻った。 見当たらずガックリして坂を下りながら取りあえず警察に届けをと思い出合った地元の人に尋ねた。 「そんな盗みをするような人はいない」とキッパリと言われ警察の場所は訊けなかった。 人家のある麓まで下りてくると何と道端に愛しい輪子の姿が見えた。先程不快の念を抱いたため、 お山の古狸に懲らしめられたのかも知れない。
 幸いにも誘拐騒ぎは反省と感謝の念で落着、再び輪子と共に走りだした。R-55を西へひた走り 16時半道の駅で休憩、宿を予約して深層水をじっくりと味わった。
旅館の風呂は総檜造りでえもいわれぬ風情、窓越しの山間の眺めも素晴らしく出るときは後ろ髪引かれた。 洗濯機借りて3日振りの総洗濯、即乾性の下着は毎日洗っては着用している。

--10月9日(月)曇後雨 7:20宿出発 17:45旅館えび庄着 走行81KM  徒歩4K
 宿の主人や食事のお世話してくれる女性との楽しい会話が弾みすっかり出発が遅れた。 昨日はお天気なんとか持ったが今日は雨必至の空模様である。予定では三十六番まで92K走破だったが 道間違えること度重なり16K、2時間ほどのロスしてしまった。殊に三十一番竹林寺は五台山の頂上近くに 位置して道は狭く一方通行となっていた。それに気付かず麓にMTBおいて登り帰途は車と同じ方向に降りる チョンボを犯した。結局MTB のもとへ辿り着くのに1時間半山裾を歩く破目になった。
  三十二番禅師峰寺で打ち終えたら17時前となり雨も本降りとなった。 夕闇迫る中宿探しに走りホテルの所看板見つけて何度も探したが見つからず、 後になって判ったが既に廃業しており看板のみ残っていたのである。通りかかった主婦に教わった旅館えび庄、 訪ねながら濡れるに任せやっと走り探し当てた。
  女将にお願いすると暫し考えてからOKとなった。旅館は満員で先の客三人は断っており、 ずぶ濡れの私を見て断り切れなかったようである。水の滴る輪子も室内泊となり精一杯の善意を感じて感激した。 風呂は小さな家族風呂、食堂では私だけ別メニュ−の食事を頂いた。予定外不意の客ではいたしかたない。 洗濯機は先客ありで使えず衣類は要るものだけ水洗いして他は処分した。
  明日は三十六番までで一旦終了して輪子と共に高知からフェリ−で帰阪することに決めた。

--10月10日(水)晴 7:00宿出発 21:20高知港フェリ− 走行73KM
 感謝の気持ちを記したメモと新品の傘、蝋燭&線香を置き土産として宿を後にした。浦戸大橋の狭い歩道を輪子と並んで歩き恐る恐る渡り終えると料金徴収所があった。支払いすべくウエストポ−チに手をやり丸腰に気付いて茫然自失…。暫くして冷静さを取り戻し管理事務所の扉を叩いた。事情を話して電話を借り、旅館にかけると玄関に忘れており心配してくれていた。狭くて恐ろしい橋を引き返して旅館まで戻らざるを得ないと観念したら女将が車で届けてくれた。女将が恰も大師のように思え感謝感激である。橋が有料だとは知らなかったが結果的には非常にラッキ−でハッピ−だった。気を良くして三十六番青龍寺まで四ケ寺廻り14時今回のチャリ遍路は一先ず終了した。
 ポタリング気分で高知まで戻り、今夜のフェリ−時間確認した。高知港発21:20で大阪南港へは明朝6:30着である。高知の知人に電話入れたら出張中で不在。はりまや橋近くの銭湯に入り大きな湯船で手足を伸ばして旅の疲れを癒した。疲れた体には風呂が最高のご馳走である。ついで胃袋へのご馳走としては新鮮な魚とうまい酒を十二分に送り込んで慰労に努めた。 21時フェリ−に乗り込み輪子とともに旅の無事を喜び合った。


--10月11日(木)晴 6:40大阪南港出発 10:50自宅着 走行56KM

 一路自宅に向けて道の心配はなく、安全な走行を心掛けた。気がつくと何一つ土産は買っていないが今更仕方ない。自分勝手な論理だが無事な帰還が唯一の土産である。
  道路は出勤・登校ラッシュで車や人が多く、混雑していたが落ち着いた気分で走れ11時前無事ゴ−ルイン。一風呂浴び、消毒・消炎剤を塗布して身体の手入れ後、久しぶりのダ−ジリンを味わった。

【所感】 四国遍路88ケ所巡りの旅にでかけ、9日間35ケ寺廻り終えた今、釈然とせず複雑な気持ちである。正直なところ発心の道場・阿波を駆け抜けても何らピンと感じるものはなく、修行の道場・土佐でも同様で何の修行も出来ていない。信心不足や動機の不明確さは自認しているが物見遊山でもなく、ひたすら札所目指して輪子と同行二人、巡り続けてきたのである。 何かを掴める或いは何かを感じることが出来ると勝手に思い込んでいたのだ。 ともかく再度旅立ち、素直に88ケ所巡り終えた時どんな気持ちが湧いてくるかを楽しみにしたい。
  物理的には720K近い走行と30Kの歩きで身体はかなり疲弊したが体重は不変、転倒の傷と陽に焼け色黒だけが残った。しかし健闘著しい身体を褒めると共に健康に産み育ててくれた両親に改めて感謝感謝。
記:郷原 秀昭さん イラスト:はまだひろこさん
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