ちょっといい話 パート1  
もどる
2001年7月24日


知っている方もおられると思いますが、エッソ石油の副社長から出家して 住職になられている松野宗純氏の著書"定年後は「般若心経」で悔いなく 生きよう"の中で次の文章に出会いました。

 『ある人が地獄に行って見たところ、ちょうど食事の時間でした。驚いたことに食堂のテーブルにはたいへんなご馳走が山盛りです。ところが、テーブルの両側に座っている亡者達は、皆やせ衰えて飢餓に苦しんでいます。不思議に思ってよく観察すると、左手は椅子に縛り付けられ、右手に長い柄のついたスプーンがくくりつけられていました。
 やがて、鐘の合図で食事が始まりました。するとどうでしょう。亡者達はわれ先にスプーンでご馳走をすくい上げ口に運ぼうとするのですが、スプーンの柄が長すぎるためご馳走は口に入らず、いたずらにその辺りに散乱するばかりで一口も食べることができません。そこに、地獄の苦しみがあったというのです。
 次に、その人は、極楽に行ってみました。極楽というからには、ずいぶん豪華な 宮殿だろうと想像したのですが、着いてみると意外にも建物は地獄と寸分違わず、 食堂の様子も地獄と同じでした。人々の左手が椅子に縛られ、右手に長い柄のスプーンをくくりつけられているのもまったく同じでした。
 ところが、鐘が鳴って食事が始まると、人々はテーブルの上のご馳走をすくい上げて自分の口ではなく、互いに向かい合った相手の口に運んだのです。そうやって全員が心ゆくまでご馳走を楽しんでいました。
  長い柄のスプーンは相手のためにあったのです。相手と分かち合う心があるかどうか、たったそれだけで同じ場所が地獄にもなり、極楽にもなっていた。 』

河本 雪夫
もどる