2002年08月20日 「風のささやき」

戦争を語り継ぐ

2002年8月20日
友遊会世話人
青木 弘さん

■姉の手記で浮かび上がった私の引揚げ前後のこと  

  傘寿を過ぎた姉から「弟の引揚げ前後」と題した手記を手渡された。記載日は昭和22年5月、 台湾から父の故郷、大分県国東半島に引揚げた翌年である。

 《それは昭和20年5月31日の正午少し前。町内はほとんど内地へ引揚げた後で静まりかえって いました。サイレンが響きました。  南東の空に豆粒ほどのB29の機影が数機浮かびました。母と弟たちは防空壕に入り母は家の 中にいた私を呼びました。私は「大丈夫」と言いながら、いつもの爆音とは違った重々しい予 感にかられ、壕に飛び込み扉を閉めました。

 轟々とうなる金属音と同時に鉄槌で叩かれたような衝撃。「死が来る」と頭の中は妙に冴えていました。気がつくと、あたりは茶色の煙が立ちこめていました。三人の名前を叫び、その 無事を確かめ、息苦しい壕から飛び出しました。そして 見たものは凄まじい破壊の跡でした。わが家も周辺の家も消えていました。  三年生のあなたはショックだったのでしょう。 壕から出た後は一言もしゃべりませんでした。駆けつけてくださったおば様に連れられて、あなたは黙ってついて行きました。》

 手記を読んだとたんに、なぜか爆死した犬の顔や瓦礫の中から焦げた学用品や飴のように曲ったレコードを掘り出している少年の姿を思い出した。当時、十歳の私は炸裂音も破壊の ショックも覚えていない。

 微かに残るのは土壁の焦げた匂いだ。今でも火災現場や解体中の家の前を通ると妙に胸騒ぎ するのは、あの時の記憶のせいだろうか。 大空襲を境に台湾への爆撃機の飛来が少なくなった。この時期、米軍は沖縄首里を占領し、B 29は日本の心臓部を直撃していたのだ。

 《その日から2ヵ月後、終戦を迎えました。疎開先の大渓は山河に囲まれ、あなたは廟の一部 を使った学校で勉強をしました。11月に台北に戻りました。翌年の春、あなたは昭和小学校の4 年生になりました。国民政府の統治下です。「三民 主義、吾党所宗…」と続く北京語の国歌を忘れないように歌っていました。覚えていますか。》

 このあと手記には、私が瓦礫の山から使えそうなレンガや銅線などを掘り出し、路傍で売っ たと記してある。家計の足しにしたのか、おやつを買いたい一心だったのかわからないが、こ んな少年時代を過ごしていたことをすっかり忘れていた。

 3月24日、はたちの兄が急死した。技術者の父は残留を要請されていた国民政府の申し出を断り、遺骨を抱いて急きょ帰国することにした。

 《4月1日、くるぶしまであるお兄さんの防寒コートを着こみ、大きなリュックを背負い、米 軍のリバティ船に乗りました。上陸港は和歌山県田辺港です。13日、ようやく見えた日本の 島々に涙があふれ、上陸の夜は援護局の温かな食事の世話を受け、「リンゴの歌」にしばしの 笑みが浮かびました。そして麦の香りの田辺を後に父の古里に向かいました。 あなたは地元の小学校に編入しましたが、近所の子から引揚者の子≠ニさげずまれ、面白半 分の嫌がらせに涙を浮かべていたことが再三でした。おが屑入りのパン、かぼちゃと麦かすの だんご汁、今はブタも食べない食事にも無理を言いませんでしたね。  忘れないうちに第二の故郷になった町に落ち着くまでを書きとどめておきます。》

 文章はここで終わっている。  姉に続きを催促したら、「もう忘れたわ。これから先は自分で想い出しなさい」と釘をささ れた。私と13歳離れている姉はいたって健康だが、遺言のつもりで私に渡したのか。  手記は、被災・空腹・いじめにあった時代を一気に思い出させてくれた。嫌な記憶より近所 の子と遊び呆けたことや家族と過ごした楽しい時代を想い出すほうが楽なような気がするが、 この手記に刺激され、今までなんとなく避けていた空白を埋めてみたいと思っている。 なんといっても瞬時に人の命を奪い、ものを破壊し、人生までも狂わせてしまう「戦争」だけ は風化させるわけにはいかないのである。
-----------------------------------------------------------------------------
註)
・《 》は姉の書いたメモ。 ・台北市古亭町で終戦を迎え、大分県東国東郡国東町に引揚げた。
・和歌山県田辺港は22万332人の引揚者と戦争犠牲者11469柱の御霊を迎えた。
 昭和21(1946)年12月21日、南海大地震で壊滅し、当時の模様を伝えるものは石碑のみ。
-----------------------------------------------------------------------------
青木 弘 URL http://www.tcct.zaq.ne.jp/ppk-aoki/

「孫たちへの証言」は戦争の記憶を次世代に語り継いでいきたいと、新風書房(社長・福山琢磨さん)が毎年夏に出版されている書で、今年で第15集になりました。今回のテーマは「戦争の風化、許すまじ」。
同書をお求めの場合は、〒543-0021 大阪市天王寺区東高津町5−17新聞印刷ビル内 
新風書房(06-6768-4600)へお尋ねください。
現在お問い合わせ頂いた方には、送料サービスでお届けしております¥1,300(税別)。ぜひ、お手にしてご一読下さい。



◎あなたもエッセイや詩、川柳など投稿してみませんか?
→投稿・ご感想はこちら